Blog

ついでにTomboメモから。

今日は写真にはあまり向いてなさそうだったので、橋を歩きながらブログについて考えてみた。匿名はけしからんという意見もあるが、実名が分かって嫌がらせで性格が破綻する所まで追い込まれた事件もある。匿名で書いていても調べ上げられて困ることが起こるらしい。元々、Web-logで個人的な記録であるが、日記として書いているのか、データを集めてコメントしているのか、自分の意見や論説を書いているのか、内容によって一通りではないはず。今いわれているブログとは基本的には個人日記だと思う。意見表明や情報の発信であれば別の名称にした方が混乱を招かないと思う。
 私の場合は、モバイルからPCネタを中心に情報のまとめと個人日記として始めた。意見表明も多少はしているが、テーマに合わないと考えてあまり深くはやっていない。と言うよりはそっちの方向は十分自分の中で煮込んでいないので書けないというのが実情。社会問題を中心とした硬派のプログはすごいと思う。十分に従来のマスコミなどに対抗できる部分もあるが、すべてがその方向に向いてないのも事実。私の場合は、社会的な問題については情報収集も十分でないし、基本的にあまり関心が深くないというところか。社会的な事件について見聞きした範囲では個人的な感想は持つ。その根拠も自分なりにはあるし、感想はある。しかし、それを積極的に表明して、社会を変えてゆこうとまでは思わなくなった。本来ならやるべきとも思うが、この年になってそこまで背負いきれないというのが本心。
 また宇宙を中心とした人たちもすごいと思う。ブログはそう言う点で今まで専門に調べないと分からなかったことがすぐに知ることができるようななった点ですごいと思う。

(2005/05/28 12:33)
追加 

ブログは実名で公開すべきか、
ハンドルネームなどの虚名でもいいかという質問を最近受ける。どちらにするのも個人の自由だろう。ただ、実名でブログを公開する勇気のない人は、ただの臆病者か、無責任な人間だと思う。日本の新聞に署名記事が少ないのは、いろいろな言い訳を聞くが、本来ジャーナリズムのあり方として間違っていると思うのと同様だ。

ジャーナリズムは、「私」を消して、まったく第三者の空気のような立場から書くべきというような意見も聞くが、私は、間違っていると思う。世界そのものの認識が、「私」という個人の脳によるものである以上、どのように客観性を維持しようとしても、個人の知識、思想、経験が認識そのものを造っているのだから、それは不可能である。勿論、そういう現実の捉え方のバラエティが反映された意見があることこそ、望ましいのが、民主社会だ。

だからこそ、その意見を言うものの最低限のマナーと責任として、自分が誰であるかを明かす義務があると思っている。どうも、大ジャーナリズムの人たちは、個人の記者が危険だとか、(朝日大阪の例などだろう)、会社が個人としての情報発信を禁じてるとか、いろいろな言い訳をして、新聞や放送におけるジャーナリストの匿名性や、ブログでの匿名での発信を擁護しがちだ。私は、それは間違っていると思う。会社がブログを禁じているとしたら、それは、職業上の秘密保持等の理由だろう。そんなことは、最初から当たり前だ。そういうことに抵触しないのに、会社が禁じているとしたら、そんな憲法も守れないような会社は辞めてしまえ。

→ http://blog.livedoor.jp/tomabechi1/archives/21553166.html

ブログってジャーナリストの人のものだったとは知りませんでした。元々個人が主に趣味的な内容を自由に書いたものがプログの本筋と思ってきましたが、勉強不足でした。なるほど従来のマスコミと対峙できるものだけがプログなのですね。
 でも一般の人の場合は、実名で開くことのデメリットの方が多いように思います。知られたことで何が起こるのかは分かりません。それだけの覚悟をして書いているわけではないので。また、有名になった匿名プロガーの正体を暴くことを生き甲斐にしているような人もいるようです。困ったものです。覚悟がいるようならこんなに広まったりしないし、玉石混合貳こそ意味があると思っています。はっきり言って読むに耐えないような文章もあります。それでも、意見を表明しておくことは自分を明確にするためには必要だと思います。
 最も、こういう内容はMobileネタを中心としているこの場でするものではなかったのかしら。   (2005/05/28 18:08)