いじめ体質

今日のニュースで知りました。イタリアの3名の人質の解放条件がローマでデモをすることとは。そうすると日本人が解放されたのは国の対応でなく、デモの映像が流れたためですか?盗人にも三分の理ではないですが、他に方法がないからアピールのために誘拐をしかけているというところでしょうかね。戦略として考えた時、良いか悪いかは世界の共感が得られるかどうかです。人質をとってやらざるを得ない状況に追い込んで要求しても反感を買うだけです。その点では国も国民も一致して拒否するイタリアの反応は正常ですね。一方で野党が提案しているすでに行っているデモの映像を送ってアピールするなんぞはなかなかの戦略です。
 日本では、人質になった方に約200万円の経費請求がでたのだそうです。今までの人質事件で経費の請求がされた例があったのですか?まるで国が禁止しているにもかかわらずに個人で行ったことに対する罰金のようにも見えます。もし、個人でなく会社がらみだったらあんなにたたかれるのでしょうか。個人としてあえて行く勇気を評価することなく、単に迷惑をかけたからといって弱いものいじめですね。普通なら「良かったね、よく頑張ったね」と暖かい言葉の一つもあるところでしょうに、ちょっと風向きが変わると集中砲火です。犯罪者で世界的にも非難されているならともかく、あえて戦乱の中を困っている人のために出かけただけでも普通の国ならよくやったとして評価されると思います。せっかく解放されたと思ったら味方のはずの国や民衆からあれだけの非難をされるのでは寝込んでしまうのもよくわかります。いじめに遭っている子供に、いじめに遭うようなところにいるのが悪いと言っているようなものです。これでは子供がおかしくなるのも無理がありません。よいことをする勇気がわいてこなくなってしまいます。子供だけでなく大人の世界でも陰湿ないじめが当たり前に行われているのでは、愛国心を持てと言われてもちょっとひいてしまいます。自分の国を誇りに思いたいのに、それを否定するようなことはやめてもらいたいです。
 世間-といっても日本国のごく一部だと思えるのですが-に迷惑をかけることが一番のいけないことという価値観が今も日本人に染みついているようです。子供の起こした事件で親が過剰な責任を求められて謝り続けることがよくありますが、同じ図式に見えます。日本人、というか影響力のある人たちというのか、にとって損得全体を含めた総合判断をすることは困難なんでしょうか。自分だけは正しいという立場から悪い面ばかりを一方的に非難して、反省の言葉を求める。感情でどんどん流されて行くのが悲しいです。
 もし国の言うように、危険だからといってイラクにジャーナリストも含めて日本の民間人が一人もなくなっていたら、世界の人たちにどのように見えるでしょうね。国の命令にみんな従う全体国家とおもうのではありませんか。また、困っている人たちのために血と汗を流す勇気のない国民と見なされるでしょう。逆説的ではありますが、国としては日本人にも人質がでたので世界に対してメンツを保ったのではありませんか。アメリカにいい顔ができないからといって個人に対して「自己責任や、考えなし」などと非難するのもある意味わかりますが、いつまでも「国が一歩上から高度の判断をしているのに、愚かな民間人が困ったことをしでかしたので腹を据えかねた」という図式では困りますす。もっと大人になってほしいものです。
 アメリカでは今も民間人が金や正義感に駆られてどんどんイラクに向かっているそうです。派遣している会社は石油関連で復興の権利を得ているそうです。殺された4名の民間人も元軍人のセキュリティ担当者だったということですし、イタリア人で殺害された方も同じような立場の方だったと聞いてます。民間人でもボランティアなんかとはちょっと違うようにもみえます。それでも彼らに対して当然ながら非難の声は聞きません。どっちが本当に非難されるべき立場でしょうか?
 実際に自分で事実を調べないで、感情の赴くままについ書きすぎてしまいました。自分もやっぱり日本人なのですね。理性の重要性を力説する割には、自分の行動の基本が感情なのですから。考えなく突っ走ってしまい、後で反省するのはやめなければと思うのですが、何も言わないでいるのも賛成側に回ったことになるのでやめなければなりません。一応今の気持ちとしてここに記録しておきます。