なぜ宇宙を目指すのか?

 中国が神舟5号で有人宇宙飛行を成功させましたね。先日購入したSFマガジン12月号の「サはサイエンスのサ」に鹿野さんが「夢を追う国と現実に疲れた国」と題して日本との宇宙に対する姿勢の違いについて書いておられ、大いに共感しました。いつから我々は本当の宇宙の代わりにバーチャルリアリティ、ゲームの宇宙で満足する様になってしまったのでしょうね。本当の宇宙に行くまでのつなぎのはずのものがそれ自身が目的となってしまった様に思えます。そっちの方が儲かるときてはなにをかいわんや。いつから宇宙にロマンを語ることが恥ずかしくなったのでしょうね?本当に地球を救いたいと思っているのだったら、このまま地球を食い尽くすよりは人類は宇宙へ飛び出してゆくべきと思っています。
 私見ですが、生物とは?生物は他の生物とあるいは争い、あるいは協力しながら、自分の生存圏を広げようという衝動の下にその生を完結させようとする存在です。個々の生命はそれ自体で完結する自己愛とは別に種としての生の衝動を持っているように見えます。その相互競合の過程で更により環境に適した新しい生命形態を生み出して、地球環境を変えてきました。生物がその生存域を広げようとする内なる衝動をその発生の時から持っているとすると、当然地球に留まっているはずはないはずです。自分の意志で地球外へ乗り出した生命体は人類をおいていないと思います。あるいは生命の大元は宇宙で生まれたのかも知れません、高分子と言った形で。ただ、我々が生命として認識する存在は今のところ地球だけにしか見つかっていません。過去の火星には地球タイプの生命が存在するに足る環境があったと言うことですので、あるいは火星には生命が存在するのかも知れませんが。地球生命のホープとして宇宙に乗りだしてゆくことは、人類に化せられた義務と思っております。
 そして、現在の人類の混乱はそうした衝動に明らかな目標が与えられていないために起こっていると考えています。宗教などくだらない主義主張で互いに争っている暇があったら、地球生命の生活域を広げるという大目標のためにすべてを捧げて後悔することはないと思っています。その結果として滅んだとしても人類の存在意義があったといます。このままテロだの戦争だので地球を台無しにしてしまったらいままで生命をつないできた種々の生物からなんといわれるだろうか?