サン・ファン・バウティスタ号をめぐって

 国内で建造された最期で最大の復元木造帆船サン・ファン・バウティスタ(洗礼者 聖ヨハネ)は、仙台藩伊達政宗により建造され、慶長18年9月15日(1613.10.28)に支倉常長ら180余命を乗せ、月浦(石巻らしい)から出帆し、メキシコのアカプルコまで3ヶ月かけて航海しました。その後一度日本に帰り、1年後再度アカプルコに向かっています。帰ってくる支倉常長を迎え行ったのです。結局彼らを乗せてフィリピンのルソンに着いたのは1618.08.10、その後はスペインに接収されどうなかったかは不明だそうです。
 なお、支倉常長が日本に帰ったのは1820.09.23でした。日本で建造された木造様式帆船として始めて太平洋を2往復し、その造船技術は当時の世界のトップレベルにあったと思われます。支倉常長の話は教科書で習いましたが、そのときの船が日本で造られ、太平洋を2往復していたのは知りませんでした。残念ながら、幕末太平洋を横断した咸臨丸の場合と同じく実際に操縦したのは船長?ルイス・ソテロをはじめとするスペイン人でした。
 先日、遣欧少年使節団の番組を見ましたが、そちらは西欧以外に別の文明があり、キリスト教を自主的に受け入れる能力があると言うことで大センセーションを起こしたと言うことでした。せっかく日本に帰っても時代は変わり、キリスト教が受け入れられなくなっていて国外追放か棄教か殉教かという運命でした。そして、支倉常長の方はメキシコと貿易をするという点で目的が違いますが、同じ運命でした。国としての方針があり、キリスト教といってもその裏にスペインなどの戦略があったことは確かでしたので、仕方なかったとはいえ、この当時の日本は鎖国することで満足し、彼らの貴重な情報をを生かすだけの戦略という物がなかったことは確かです。
 なんか昨今のイラク騒動にも同じような流れがあるように感じます。ある時から急に内向きになって、国内の動向だけに一喜一憂しているのでは精神的鎖国状態といえるのではないでしょうか。
 帆船は石森章太郎「幽霊船」やカティサークとティルモピレーのティークリッパーの競争、ツバメ号とアマゾン号シリーズ、ホーンプロワーシリーズなでの影響で大好きです。好みとしてはクリッパー時代の完成の域にあるシップやバーク、トップスルスクナー等がいいですね。個人的にスクナーを持ちたいと思った時もあります。
 千石船の帆走能力は追い手に帆をかけるだけではなく、風上へのキリ上がりは決してバカにした物ではないそうですが、基本的には沿岸航海用です。日本ではとうとう本格的な反省の時代がなかったのが寂しく思っております。
 日本の帆船としてはこのあとに三浦按針が静岡の戸田で造った物が知られていますが、その前にこれだけの物が造られているのは知りませんでした。せっかくの技術が鎖国でとぎれてしまったのが残念です。もし、太閤秀吉が朝鮮でなく、フィリピンやインドの欧米の出先機関を攻撃していたら、鎖国がなく、世界に向かって更に貿易を広げていたかもしれません。そうなってもどこかで行き詰まっることには間違いありませんが、国民性は変わっていたに違いはありませんよね。