終戦60年

NHKスペシャルの再放送を2夜連続で見てしまいました。サイパンと沖縄、どちらも本土防衛のための捨て石となったところです。硫黄島など玉砕した島は他にもありますが、この2カ所は住民が多数死亡したことで有名です。どうしてこうなったのでしょう。日本だけが特殊だったのでしょうか。もちろん、これだけの犠牲を出したことに対して当時の為政者、軍部は責任を問われる必要があります。一億総懺悔ですませてはいけなかったはずです。東京裁判は不等という意見がありますが、それに変わる日本としての裁判をやってこなかったことが問題なのでしょうね。
 いつからでしょうか、一般人までもが俘虜になることが恥ずかしいという思想にとりつかれたのは。少なくとも日露戦争では日本は捕虜をきちんと扱っていました。第9交響曲が日本に伝わったのもその為と聞いたことがあります。
 死が強要になってしまうので悲劇が起こります。そうでなくても、戦争に巻き込まれた一般人が悲劇的であることは、現在のイラクをみているとよくわかります。結局一般人を巻き込まない戦争なんぞあり得ないし、その限りにおいては正義もくそもないのですが。
 負け戦になれば敗残兵が疑心暗鬼になって周りが的ばかりに見え、虐殺が起こるのは仕方ないのでしょう。過去の戦争では勝っても負けても、戦場になった場所の人たちにとっては悲劇いがの何者でもな立ったようです。犠牲となる人数でも宗教戦争なんぞになると恐ろしい数の人が殺されています。現在よりもずっと人口が少なかった時代でですよ。数が少ないから貴重というのではなく、人は簡単に死ぬ者だという諦観のせいか、人の命は安かったのです。
 今や地球を食いつぶすほど増えてしまったのに、命の貴重さはずっと高く認識されているのが不思議です。最も、貧しい人、運の悪い場所での命は今でも実に安いようですが。
 人口調節のための戦争という側面は理解できても、認めたくはありません。もっとやり方があるはずです。暴力に頼らないと解決できないのが人類の壁でしょうか。 (04:06)