新聞

家に戻って一番の違いは、新聞をじっくり読むことです。今は寮にいるせいで新聞を読む機会に恵まれません。会社に行っても現在の職場では新聞なんぞは取っておりませんのでついつい、TVとインターネットが情報の中心になります。TVではNHK等のニュース番組をよく見ますが、矢張り新聞とは切り味が違ってきますね。新聞だといろいろな記事がバラエティーに富んである程度の分量で掲載されています。
 特に日曜版だと本の紹介などでも、自分の範囲ではないなと思いながらついつい掲載されているすべてを読んでしまいます。Internetだとまず読まないでしょうね。この辺が、画面と紙の違いであり、活字中毒者=紙癖愛者の性なのかもしれません。未だに画面で読む場合はついつい関係したものに限る傾向があります。多分、アクセスできる範囲が広くて興味の赴くままにサーフィンすると時間がいくらあっても足りないと思うせいでしょう。新聞は元々有限ですので、隅から隅まで読んでも2時間もあれば足ります。でも、この時間って結構至福の時間ですよね、活字中毒者にとっては。だからしばらくは新聞も安泰でしょう。ただ、画面での読み方が身に付いた世代が中心になるとどうなるでしょうか?そういう人の情報の把握やバランスがどうなるのか興味があります。
 今取っているのは朝日ですが、昨今の状況を見るにつけ、一紙に頼る問題点を感じずにはいられません。といって複数誌を取るとなると経済だけでなく、読むための時間も大変です。基本的には好みの一紙とInternetやTV等の複合でバランスを取るのがよいかなと思っています。
 私の場合は、基本的には理念先行の理想主義的な面が強くで、朝日的な考え方をよしとする部分が大きいようです。ただ、現実的な面を考えてうまくやって行くことが求められるとき、行動が伴わずに頭だけであれこれ批判することに「それはないでしょう」と感じるだけの感性は伴っています。学生の頃とは違って社会人の経験が、結果を求められる事の重みを実感するようにさせているのだと感じています。
 事実はあると思いますが、真実って本当の所存在するのかどうかは確信できておりません。結局はある出来事−事実をどの様に受け止めるかだけだと思っています。その事実を正確に伝えると言うことがどれだけ難しいかも分かっています。そして、事実をきちんと把握することは基本的には人間にはできないのだと思います。事実というデータとそこから派生する判断や行動とは別だからです。人間にとってはその判断や行動こそが真実につながりますので、単なるデータである事実は意味がないと言うことになります。
 手な事をぶつくさやっていても時間ばかりが経って行きますので、ここまでにしとう存じます。