いつになったら人類は大人になれるのでしょうか

最近問題になっているNHK教育の「国際女性戦犯法廷」ですが、いろんな論定がありそうですね。政治家の圧力問題、模擬裁判関係者の中立性、従軍慰安婦問題、国家観・・・。
 政治的圧力云々については、事前に具体的な指示があったかどうかだけで判断はできないでしょう。結果として正規の時間に足りない番組になってと言うことは常識ではないことが起こったということです。その原因が、具体的な政治家の一言である必要はないと思いますが。
 私が気にしているのは、今回の模擬裁判についてです。現在の、ある立場の人が、一方的に裁くと言うことにつきまとううさんくささです。もとより、同時代の人たちによって行われた東京裁判でもそういった点が無きにしもなかったとは言えないでしょうが。
 石川英輔さんの大江戸ものも少々組み立てが鼻についてきましたが、基本的な論点には賛成です。江戸時代を評価するのに現在の視点で切り捨てるのではなく、当時の世界と比較してどうなのかという点で見ないと本質を見失うと言うことです。
 常識は地域にって、また時代と共に変わってきました。どの時点での、どの地域での常識で判断するかで、人権という概念も含めて全く変わってきます。
 悲しいことですが、現在でも大規模虐殺はありますし、爆弾テロなんて考えられような暴力が一般化してしまいました。アメリカもテロ対策であれば一般民家に対しても爆撃を行うことを躊躇しません。未来は彼らをどの様に裁くのでしょうか。
 過去の世界も見れば今ほどの人口もない中で、その分貴重なはずの人間が簡単に死んでいきました。そんな中で人権といっても言われた方は何それでしょう。1つの都市を抹殺するようなことも起こりました。結果としてその方が犠牲が少なかったなんて計算もあったようですが。そういう計算は現在でもやっていますね。
 犠牲者の立場に立てば、理由が何であれ、ただ悔しさだけはあったと思います。そういう方を少しでも出さないようにするのが大切だと思います。過去を断罪するよりも今を考えるべきでしょうね。